2019年11月29日
照沼夢輝《日本フィルハーモニー交響楽団》オーケストラリレーインタビュー ~みんなで広げようオケトモの輪!~

取材依頼書-日本フィルハーモニー交響楽団 照沼夢輝様
このたびは『ひびクラシック』の名物企画「オーケストラリレーインタビュー ~みんなで広げようオケトモの輪!~」の取材をお引き受けいただき、誠にありがとうございます。
こちらが5つのルール・諸注意となりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
①完全指名制です。
②次の指名は、ご自身の所属するオケと一つ前の人が所属するオケ以外の方でお願いします。
③できればご自身と違う楽器奏者の方をご指名ください。
④質問は全部で10個あります。
⑤あなたのファンが急増するかもしれませんので、どうぞお気を付けください。
ー 指名者の荒木奏美さんの印象やエピソードなどがあれば教えてください。
奏美ちゃんは同じ茨城県東海村出身で、一つ上の学年でした。地元でも神童として有名で、当時小学5~6年生だった彼女が村の広報誌の「将来の夢」コーナーで「オーボエ奏者になりたい」と書いていたのを読んだ記憶があります。僕はその頃、小学校のビッグバンド部でテナーサックスを吹いていたんですが、プロの音楽家になりたいなんて全く考えたことはなく、自分と同世代なのにもうこんなに明確に決まっているのか、と驚きました。「自分とは違う、遠い世界の人」という印象でしたね。
彼女の通っていた舟石川小学校、東海南中学校はいずれも吹奏楽の強豪校で、全国大会の常連。僕は小・中とも別の学校で、中学の吹奏楽部でクラリネットを始めたのですが、大学に入るまで彼女とは直接の面識はなく「本当に上手な人がいる」と存在を知っている程度でした。年に一度、村の音楽祭で小・中学校7~8校が集まってそれぞれ演奏する機会があるんですが、その時に彼女の演奏を聴いて「すごいな、こんな神様みたいな人がいるんだ」と思ったのを覚えています。
ちなみに東海村出身者にはプロの奏者がけっこういて、サクソフォンの上野耕平さんもその一人。彼は奏美ちゃんと同じ、舟石川小学校・東海南中学校の出身で、奏美ちゃんの一つ上の学年です。
奏美ちゃんのイメージは… 何でも完璧な人。演奏はもちろん素晴らしいし、頭もいいし、人間性も良くて、隙がないですね。むしろ隙を見てみたいというくらいです(笑)。
ー 人生最高の演奏会(自身が演奏したものでも聴いたものでも)を教えてください。
短い人生で早々に「今までで最高」を決めてしまうともうこの先がなくなるような気がして怖いので(笑)、「人生で一番衝撃を受けたコンサート」ということで。中学2年のときに、隣市の日立シビックセンターで聴いた〈マレク・ヤノフスキ指揮/ベルリン放送交響楽団〉のコンサートです。海外の有名オーケストラを近所で聴ける機会自体が少なかったのと、当時ピアノを習っていたスズキメソードが「いい音楽を聴いて真似しましょう」という方針だったので、自分から「聴きに行きたい」と親にリクエストしました。プログラムはベートーヴェン:交響曲第5番「運命」と、ブラームス:交響曲第1番。これが初めてちゃんと聴いたプロのオーケストラ体験でした。当時はヤノフスキが誰なのか、ベルリン放送響がどんなオケなのかも全くわかっていませんでしたが、本当に凄い音でした!「運命」のホルンの響きも凄いし、同2楽章やブラームスの3楽章のクラリネットも「こんな音がするんだ!」と。自分がいつも吹いていたのは何だったんだろう、と衝撃を受けました。この時の、音の渦に巻き込まれていく感覚や、ホールを包み込む響き… 細部まで、今でも昨日のことのように覚えています。すごくいい経験になりました。
振り返ると、この時から「オーケストラ」「プロの音楽家」に対する憧れを抱くようになったように思います。それまでは遠い世界の他人事だったのが、少し現実のものとして近づいたというか…。また、指揮のヤノフスキがとにかく格好よくて、実は一番憧れたのは指揮者(笑)。登場した瞬間からお辞儀の仕方ひとつまで、オーラが凄かったです。僕もそのうち指揮をやってみたいと思っていて、それはもしかするとヤノフスキの影響かもしれません。
それ以来、自分でもいろんな情報を調べるようになりました。すると、まさかの近所に水戸芸術館というホールがあって、そこでは水戸室内管弦楽団というオケがあり、小澤征爾さんも振っている! そうして中学3年の頃から、水戸室内管の定期演奏会に通うようになりました。当時は開演1時間前に発売される学生券があって、いつも時間ぴったりに窓口に並んで買っていましたね。時間の許すかぎり、2日間の定期を両日聴きに行きました。
この頃から僕にとって「オーケストラのメンバーが神様」になりました。買うCDもオーケストラで演奏している人のものが多かったです。どうやったら自分もあそこで吹けるかな、と考えるようになりました。
ー 人生最高のCDを教えてください。
これも同じく、「一番影響を受けているCD」ということで。前のヤノフスキのブラームス1番の実演を聴いて「本当にすごい曲だな」と思った僕は、さっそく村と県の図書館にあったブラームス1番のCDを全部借りて聴き比べました。6~7枚あったと思います。そんな中で出会ったのが、カラヤン指揮/ベルリン・フィルのブラームス交響曲全集。カラヤン最晩年の1986~1988年の録音で、すごく気に入って、何度も聴きました。クラシックファンの皆さんにはものすごくベタなセレクトで恥ずかしいんですが…。
他にもバーンスタイン指揮/ウィーン・フィル、ラトル指揮/ベルリン・フィルなどいろんな録音がありましたが、やっぱりカラヤンの音楽のスケールの大きさを、当時わからないなりにも感じたんだと思います。現代の新しい録音で、技術的にそれより優れたものはいくらでもありますが、この録音には、すごく大きな、宇宙的なスケールの音楽が渦巻いているというか。今でも自分の中でスタンダードになっています。
ー あらゆる職業の中から音楽家として生きていることについて、どういった使命を感じていますか?
使命というと大げさかもしれませんが、音楽でも美術でも、芸術とは「受け継がれていくもの」だと思います。革新的であったり、一見伝統から外れたように見えるものでも、根底では必ず過去の伝統に繋がっているものですよね。その中で僕は、自分たちは「伝い手」を担っている、と考えていて、そこには長い時間受け継がれてきたものを演奏するだけでなく、新しいものを紹介していく務めもあると思うんです。
だから自分でプログラムを組めるときは、なるだけ現代作品を入れるようにしています。現実には、集客の難しさで運営が難色を示したり、共演者の理解が得にくいなど色々ハードルもありますが、新しいものを取り入れていかないとこの世界は衰退する一方だと僕は思うんです。もちろん作品の良し悪しを見極める目は必要ですが、伝統も大切にしつつ、同時代に生きている作曲家の作品を世に送り出して、お客さんが触れる機会をつくることがまず必要だと思っています。
それに、聴いて(演奏して)みると「意外とおもしろかったね」ということが多いんです。ストラヴィンスキーの「春の祭典」だって、初演当時は大スキャンダルになりましたが、今では当たり前に演奏されていますよね。当時「演奏不可能」といわれたものも、それらを演奏するために演奏技術の向上や楽器の改良が行われて、不可能が可能に変わってきています。
僕自身の経験でいうと、高1~高2の頃に作曲家ジョルジュ・リゲティがテーマのコンサートで、弦楽四重奏曲や100台のメトロノームが鳴る「ポエム・サンフォニック」などを聴いたことがあります。リゲティは正直あまり好きではなかったのですが、実際にライヴで聴いたら「思いのほか面白い!」と。でもこれってCDでは伝わりにくいと思うんです。同じ空間の中で、いろんなところでメトロノームが鳴っているのがどう見えて、どう聴こえて、肌で感じたこと全部ひっくるめて「面白かった」んだと思います。だから自分が新しい作品をやるときも「きっといいと感じてもらえるはず!」という気持ちがあるんです。
一番新鮮な状態で聴けるのは、じつは現代音楽だと思うんです。それに少なくとも、僕たちにとって一番感覚的に近いのは今生きている作曲家であるはずですから。新しいものへ挑戦は勇気がいると思いますが、そこにもきちんと挑んでいくのが我々の使命かなと。皆さんもぜひ勇気をもって、気軽に聴いてみてほしいです。
ー 音楽家として好きな方はどなたですか?理由は?
ハインツ・ホリガーです。オーボエ奏者としてはもちろん、作曲家、指揮者としてもすべて一流。素晴らしい、まさに「音楽家」だと思います。初めてホリガーに出会ったのは、水戸室内管弦楽団の定期演奏会に初めて登場した時、僕は高校生でした。誤解を恐れずに言うと、ホリガーの音は一般的にいう「いい音」ではないのですが、すごく「音楽に触れている」と感じます。そして現代作品でも古典でも、表現力が素晴らしい。彼の音楽を聴くと、音色に拘りすぎるのではなく、音楽を大事にしているなと思います。
また、ホリガーは新しい作品だけでなく、知られざる作品の紹介も行っています。例えばゼレンカというバロック時代のボヘミアの作曲家。ホリガーは1997年にゼレンカのトリオ・ソナタ集を録音して世に送り出し、今では音大生も皆やるような作品になりました。
ホリガーの在り方にはとても大きな影響を受けているので、僕も新しい作品やまだ知られていない作品の発掘に興味があるし、いずれ指揮や作曲もしてみたいと思っています。
余談ですが、当時の僕はコンサートが終わると必ず楽屋口でアーティストを待ち構えてサインを貰っていて、楽器ケースがサイン帳みたいになっていました。ホリガーにも楽器ケースにサインをお願いしたところ、そこにカール・ライスターのサインを見つけてあからさまに嫌そうな顔をし、わざわざ裏返したところにサインをくれました(笑)。ホリガーは毒舌でも有名です。
「『海底から引き揚げた楽器』と称されるビュッフェ・クランポン。マウスピースはB40、リードはV12 3半。浮気相手(マウスピース)も写っているが、大抵三日ほどで戻る」(照沼)
ー どうやってオーケストラに入ったのですか?きっかけや時期は?
僕にとっては、とにかくオーケストラにいる人が神様でしたから。中学の担任の先生の勧めで水戸第三高校・音楽科に進学してからはレッスンも受けるようになり、やはりオケマンに教わりたくて東京藝術大学では山本正治先生(元・新日本フィル首席奏者)に師事しました。とにかくオケに入りたい、その一心で、大学1年生の時からオーディションを受けていました。実は大学2年の時にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席オーディションにも応募しましたが、当時は職歴に書くことがないので困って、小澤征爾音楽塾に参加したことを書いて出したら、わざわざ事務局から返信があって「本当にこれだけ?」と丁重にお断りされました(笑)。今思えば無謀ですね。
そして大学3年生の時に日本フィルのオーディションがあり、「経験を積もう」という気持ちで受けたところ、なんと一次審査を通過。しかも残ったのは自分を含めて2名で、二次審査は1週間後でした。その時の僕は、「もう人生にこんなことが何度あるかわからない!」と必死で考えて、まず藝大のクラリネット科の先生全員にお願いして毎日レッスンを受けました。またオーケストラのオーディションは全楽器のメンバーが投票するので、クラリネットだけでなく他の楽器から見た印象も知ろうと、オーボエの荒川文吉さん(現・東京フィル)やファゴットの柿沼麻美さん(現・千葉響)、打楽器の齋藤梨々子さん(現・ロシア国立ブリヤート歌舞劇場)に頼み込んで一緒に「田園」や「ボレロ」などのオーケストラ・スタディを一緒に演奏してもらって意見を聞いたりしました。一次から伴奏してくれたピアニストの黒岩航紀さんも多忙な中ほぼ毎日合わせてくれて、積極的にアドバイスもしてくれて。そして結果は合格。本当に色々な人の支えのおかげです。
そんなわけで、オケの「オ」の字も知らないまま入ってしまった日本フィルで初めての仕事は、ミヨーの「世界の創造」とベートーヴェンの交響曲第1番、イベールのサクソフォン協奏曲と別宮貞雄さんの交響曲第1番というプログラムで、指揮は山田和樹さん、ソリストは上野耕平さん(笑)。その次のプログラムは「春の祭典」で、僕は目立つソロがあるEsクラリネット。その後も毎回違うプログラムで、しかもリハーサルは1日、ということも日常茶飯事でした。日本フィルはコバケンさんとの共演も多いですが、慣れた曲だと「あとはお任せします」とリハで敢えてやらない箇所もあったり。入団してから2年くらいは毎回初めての曲ばかりで、ひとり飛び出したり落ちたりすることもありました。でも日本フィルは雰囲気の良いオケで、新人の僕を怒るわけでもなく委縮しないよう皆さんが温かく見守ってくださって、とてもありがたかったです。
ー 職業病について、なにか“自覚症状”のようなものはありますか?
オーケストラに遅刻する悪夢を時々見ます。オーケストラではとにかく遅刻厳禁。全員が揃わないとリハーサルにならないので、何があろうと開始時刻にそこに居ないといけない。時間にはとても厳しい世界です。
もう時効だと思うので白状すると、実は入団した年の12月に一度だけ遅刻してしまったことがあります。
日本フィルでは年末いろんなところで毎日のように「第九」公演があって、その日もゲネプロ前に東京芸術劇場のある池袋に余裕をもって着いたので、ヤマハに立ち寄って買い物をしてから芸劇へ向かいました。楽屋口からいつものようにエレベーターを昇ったら、読響の首席クラリネットの藤井さんにばったり会って。あれ?と思ったら読響のメンバーが他に何人もいる、これはおかしい…。そこで会場を間違ったことに気づき、「やばい!!!」と大急ぎでタクシーに乗って本来の会場であるサントリーホールへ向かいました。僕の田舎では絶対にタクシーで移動した方が早いのでとっさにそうしたんですが… 東京は違いました。ちょうど年末の金曜日で道路は大渋滞、まったく進まず、ようやく舞台裏に着いた時は「第九」の4楽章でリハーサルも終盤でした。コバケンさんが指揮する中、自席へ行くもどんな顔をしていいかわからない。申し訳なくて他の人の顔も見られない。しかも試用期間中の身で…。その時のトラウマか、遅刻の悪夢を見るときの指揮者はいつもコバケンさんです(苦笑)。
ー 音楽家以外でどんな職業についてみたいですか?
パイロットです。小さい頃から乗り物全般は好きでしたが、飛行機が一番好きです。自宅のPCに飛行機の操縦シミュレーターがあり、小学校の頃から好きでやっていました。フライトプランを考えて、何万フィートまで飛んで、燃料は何ガロン積んで、管制と通信して… かなり細かいことまで体験できます。仕事柄、飛行機に乗ることも多いですが、いつもコックピットで起こっているだろうことを脳内シミュレーションして楽しんでいます(笑)。クラシック業界では電車ファンほど注目されていませんが、飛行機好きは結構いて、カラヤンやピアニストのゲルハルト・オピッツさんも自家用飛行機を所有していたと聞きます。もしパイロットの方がこれを読んでいらしたら、ぜひ声をかけてください!
ー お休みの過ごし方は?
寝て、ごはんを食べて、楽器を練習して、犬の散歩に行きます。あとはナクソス・ミュージック・ライブラリーの音源を聴きあさったり。高校生の頃からのヘビーユーザーなので、ナクソスの検索技術は高いと思います(笑)。日本フィルは忙しいオケでも有名ですが、オケのない日でもレッスンや合わせなどが入っているので、実際のところ休日は月に2~3日あるかないか。なので「寝るのが一番」かな…。生物学的に寝だめはできないらしいですけど、やっぱり寝たいです(笑)。聴くのも好きなので、良さそうなコンサートがあれば行ったりする程度で、休みの日に敢えてどこかに遊びに行こう、ということはあまりないですね。
ー では最後に、次の“オケトモ”をご指名いただけますか。
読売日本交響楽団のトロンボーン奏者、葛西修平くんです。水戸三高・音楽科の同級生で、3年間ずっと同じクラスでした。僕と彼はどちらかと言うとライバル同士で、楽器は違うもののコンクールでも順位を競っていましたし、年2回ある実技試験の時は相手の演奏を聴いては「あそこは良くない」とか「いや、自分はこう思ったから吹いたんだ」とか互いに文句を言い合っていました(笑)。実技については結構センシティヴなので普通あまりそういうこと言う人はいないんですが…。
性格も音楽の方向性も真逆で、彼はすごく神経質できちっとしたタイプですが、僕は思うままに自由に生きたいタイプ。高校でも、僕がいつも男子トイレの掃除を適当にするので、彼にいつも怒られていました。いまは地元に帰ってくると一緒に飲んだりする仲ですが。彼には、「僕のことを当時どう思っていたか」を聞いてほしいです(笑)。
照沼夢輝(てるぬま ゆめき)
1994年茨城県東海村出身。3才よりスズキメソードでピアノを、13歳より吹奏楽部でクラリネットを始める。これまでにクラリネットを吉成隆一、大熊洋子、山本正治、金子平の各氏に、サクソフォンを須川展也に師事。またチャールズ・ナイディック、パスカル・モラゲス、カール・ライスター、リカルド・モラレスなど国外の演奏家の教えも受ける。
第21回日本クラシック音楽コンクール第2位、第四回秋吉台音楽コンクール第3位(2位なし)。サイトウキネンフェスティバル 小澤征爾音楽塾オーケストラに出演。
水戸第三高等学校音楽科を経て、2017年3月東京芸術大学卒業。20歳で日本フィルハーモニー交響楽団のオーディションに合格し、2015年8月より当団クラリネット奏者を務める。

発売日 : | 2011/10/04 |
レーベル : | Dg Duo |
フォーマット : | CD |
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